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大阪高等裁判所 昭和33年(ナ)3号 判決 1960年2月04日

原告 石倉保助

被告 大阪府選挙管理委員会

主文

昭和三三年四月一三日執行の大阪府南河内郡登美丘町議会議員一般選挙に関し、原告のなした訴願に対し、同年九月一〇日附で被告のした裁決はこれを取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めその請求原因として原告は昭和三十三年四月十三日施行せられた大阪府南河内郡登美丘町町会議員選挙に井上政太郎外二十九名と共に立候補し右一般選挙に於て井上政太郎と同数の百九十四票を得たものとして公職選挙法第九十五条第二項に基ずくくじの結果井上は定員二十六名中当選人の最少得票者として当選し原告は次点者として落選の決定があつた、併しながら右井上政太郎の得票中には(一)議員候補者の何人を記載したか確認し難いもの及他の候補者の氏名を記載したと思われるもの計二票の無効投票がある。即ち井上政太郎の有効投票に算入された「井上正夫」なる記載投票については立候補者中に「西野甲夫」なる者があり右投票は右両名のいずれに投票せるものが確認し難く従つて右投票は全く無効でないとしても夫々半票の得票として判定さるべく又井上政太郎の有効投票に算入された「井」なる記載投票について頭文字は「井」と明確に記載されていないが仮に之を「井」と判断されたとしてもその下の文字は明らかに「北」と読める文字を記載されて居り立候補者中に「下北久一」なる者があるから右井なる記載は井上政太郎に投票せるものか、或は下北久一に投票したものか不明のものと云わざるを得ない従つて右投票が全く無効でないとしても半票の得票として処理さるべきもので然るときは井上政太郎の得票数は原告より少くとも一票少なくなるのである。尚右の理由の外(二)前述の得票同数によるくじの実施に際し選挙長は第三者たる阪本貞夫(大阪府南河内地方事務職員)をくじの作成及実施に関与せしめ井上政太郎の代理人には同人の実弟井上実を無条件で立合わせしめたに拘らず原告の三男石倉久也には代理人として委任状を持参していないことを理由に立会を拒否し原告の投票場に到着前にくじを実施する等公正を疑わしめる事実が存したのみならずくじの実施についてもその公正を疑わしめる瑕疵が存在した即ち右くじは第三者をして作成せしめその当落の記載は同人が封筒に入れるに際し選挙立会人に確認せしめず且右の当落を記載されていると称する封筒の内「落」の記載されている紙片を封入した封筒を原告代理人中辻熊太郎の前に置き「当」の記載されていると称する封筒を井上政太郎代理人の面前に置き自動的に井上政太郎を当選せしめる状態に於てくじを実施しその当落の確認についても原告の封筒のみを開封して落選を決定し井上政太郎の封筒は開封されなかつたもので右のくじは到底公正なものと認め得ないそこで原告は登美丘町選挙管理委員会に異議の申立をしたところ同委員会は申立を棄却したので被告に対し訴願の申立をしたところ之を棄却せられたよつて本訴に及ぶと陳述した。(立証省略)

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求めその答弁として原告主張事実中昭和三十三年四月十三日大阪府南河内郡登美丘町会議員の一般選挙が行われ、原告が井上政太郎外二十九名と共に立候補し井上政太郎及原告は同数の百九十四票の投票を得たのでくじの結果井上政太郎は当選し原告は落選して次点者となつたこと、右井上政太郎の得票中に「井上正夫」及「井)」と記載した投票二票を包含することは之を認めるがその他の原告主張事実は凡て之を争う。原告は井上正夫なる記載投票について本件選挙の候補者中には井上政太郎の外「西野甲夫」なる立候補者があり井上正夫なる投票は「井上政太郎」か「西野甲夫」かいずれの投票か確認し難いというが右記載投票はその姓に該当する部分に井上と記載せられ明かに「西野」なる姓と識別できるのみならずその名に相当する部分も「正夫」と記載しその発音に於て政太郎の「政」と同じでありその字劃に於ても扁が正であることを考えあわせると「井上正夫」なる投票は「井上政太郎」に投票する意思を以てその一部を誤記したものと認めるが相当である即ち特別の事情のない限り選挙人は一人の候補者に対して投票する意思を以て氏名を記載するものと解すべく故らに二人の候補者の氏名を混記したものとして投票を無効とすべきでない蓋し投票の効力は公職選挙法第六十八条の規定に反しない限り出来る限り類似した候補者に対するものとして有効に解すべきは法の精神であり又従来の判例の立場である又原告の主張するように明らかに「井北」と記載された投票は存在しない被告のなした裁決に於て問題となつたのは「井」(検乙第一号証)なる記載のある投票でその記載は二字共に拙い字で書かれ選挙人は文字の記載に習熟しないものと推察されるがその第一字は原告主張の通り明らかに「井」であるが第二字は「北」という字ではなくその第一字との関連から之を全体的に観察し「下北」の「北」を記載せんとして「」と記載したと認めるよりは「井上」の「上」を記載せんとして文字の記載に馴れない為「」と記載したものと認めるのを相当とし前段記載の理由により之を井上政太郎に対する投票と認むべきものである次に原告は本件くじの実施にあたり公正を疑わしめる如き数々の事実が存在し「落」のくじを原告の面前に置き自動的に原告を落選せしめたと主張するが右原告の主張の如き事実はなく単なる原告の憶測に過ぎず又結果論よりするもくじの実施方法につき何等の瑕疵なく本訴請求は失当であると述べた。(立証省略)

理由

昭和三十三年四月十三日大阪府南河内郡登美丘町会議員選挙が行われ原告が井上政太郎外二十九名と立候補したこと右選挙に於て原告と井上政太郎が同数の百九十四票の得票者としてくじの結果井上政太郎が当選し原告は落選して次点者となつたこと及井上政太郎の得票中には「井上正夫」及「井」と記載せられた投票を包含することは当事者間に争がないそこで先ず

(一)  「井上正夫」なる投票の効力について

按ずるに原告は右選挙に於ける立候補者には井上政太郎の外「西野甲夫」なるものがあつて右井上正夫なる投票は井上政太郎を指すか或は西野甲夫を指すか明らかでないから之を井上政太郎の得票より除外し少くとも半票の得票とすべきであると主張するけれども右投票の記載は姓氏に相当する部分に明らかに井上とあることは原告の主張自体によつて認め得られるところで名に相当する部分の正夫なる記載は成る程発音のみからすれば「甲夫」に通じないこともないが文字の記載は「政」の扁に相当すること明らかでそして人の姓(氏)名を記憶するには先ず姓によつて区別し之に名を附加して人を特定すること経験上顕著なところで名は姓より一般の注意を惹くこと少なく、また我国字上正と政を混同し易く、末尾の「太郎」「夫」については左程明確に記憶しないことは往々我々の経験することであるから右井上正夫なる記載ある投票は之を西野甲夫に対する投票と認めるより井上政太郎に対する投票と認めるのが相当である。

(二)  「井」なる記載の投票の効力について

原告は右の「」は北の記載で立候補者下北久一に対する投票と認むべく之を井上政太郎に対する投票と認めるのは不当であると主張するけれども成立に争のない検乙第一号証によれば投票に記載せられた第一字は明らかに井と認むべく、第二字「」の字は甚だ拙劣でその上方の横の一劃は右方に於て上昇し下方の一は彎曲した一劃をなし、之に挾まる縦の二劃はいずれも上方の横一劃より上方に出ること少なく、下方は下の一劃に届かず、殊に右の縦の一劃は左側の一劃よりやゝ短かく記載せられていて上方左側の一劃が短かすぎるのみならず、下方横の一劃を下方に彎曲した筆勢上これを「北」と読むとする主張は首肯し難く、むしろ第一字の井の字の位置の配列上右方の縦の一劃は右側に偏したものとしその左側に縦の一劃を移し之に土を書加えたものと認め之を井上と記載した投票と認めるのを相当とする。

然らば右投票の効力に関する原告の主張はこれを採用し難い。そこで原告主張のくじの効力について按ずるに証人森川義彦、同中辻熊太郎の各証言に証人中辻義三の証言の一部を綜合すると、原告の得票と井上政太郎の得票が同数となつたので、くじによつて当選人を定めることになつたが選挙長である中辻義三はこのような場合の処置の経験がなかつたので偶々選挙会事務の指導に臨席していた大阪府南河内地方事務所選挙係の訴外坂本貞夫にその方法を尋ね、同人に当落決定のくじを抽く順序を定めるくじ二通と、当落を決定するくじ二通の作成方を頼み、その間くじを引かせるため両候補者に連絡させたところ、井上政太郎候補からはその弟が代理として出頭したが、原告の方からは一寸待つてくれとの返事があつたのみで三十分以上経過するも出頭しなかつたので、選挙立会人等の請求もあり選挙長である中辻義三においてその場にいた登美丘町選挙管理委員訴外中辻熊太郎を原告の代理人に選任し、選挙長の机の前に右井上の弟と右中辻熊太郎両人を招いて立たしめた後、右坂本貞夫において右両名の前面机の上に幅一尺位の間隔をおいて封筒四通を二通宛二列に並べ、「手前の封筒にはどちらが先に当落決定のくじを引くかを決めるくじがはいつているからそれを先に引き、次に当落をきめる本来のくじを引くよう」との趣旨を述べたので先づ右井上の弟が手前の封筒の中、同人の前にある方をとり中を見たところ「先に引く」と書いた紙片があり右中辻熊太郎はその前にあつた封筒をとりみたところ「後に引く」と書いた紙片があつたので、また右井上の弟が当落決定のくじの封筒の中同人の前にある封筒をとり中をみたところ「当選」と書いた紙片があり右中辻熊太郎が引いたその前方の封筒には「落選」の紙片がはいていたことが認められ証人中辻義三の証言中右認定に副はない部分は信用し難く他に右認定を覆えすに足る証拠はない。思うにくじは人の意思決定を純粋に客観的な偶然にかゝらしめることを目的とするものであるから、その実施に当つては主幸者及び第三者の意思が加はらないよう配慮すると共に、その選択は専ら抽籖者の意思のみにかからしめるを当然とする。ところが叙上認定の本件くじの経過によると、主幸者である選挙長が補助者を使用するのは差支えないとしても、既に席の定まつた抽籖者の前にくじ封筒を並べるときは自己の前面のくじを捨てて他の人の前のくじを取ることは人情の普通としてなし難いところであり、本件においても各抽籖者はそれぞれその前面のくじを引いたものであるところ、叙上認定の本件くじの経過に徴するとその間不当にくじ主幸者の意思を関与せしめたと疑うに足りる情況にあつたものと判断される。そうすると本件については未だ適法なくじが実施せられたものとは認め難く、この点について本件くじを適法とした被告委員会の裁決は失当であり原告の請求は認容すべきものである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 藤城虎雄 亀井左取 坂口公男)

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